2011年6月アーカイブ

戸畑の町の紹介

戸畑区は、北九州市のほぼ中央に位置し、面積は約16.7k㎡、人口は約66,000人。北部は区の面積の約45%をしめる新日本製鐵八幡製鐵所があります。
西部の洞海湾に面した地域には日本水産、東洋製罐、明治製菓、旭硝子など、多くの会社や工場があり、これらを加えると戸畑区の面積の約57%が工業用地になっています。 戸畑区は、明治時代の中ごろ(1980年代)までは農業と漁業をいとなむ、人口の少ない静かな村でした。
 1901(明治34)年、八幡村に八幡製鐵所が建設されてから、戸畑に明治鉱業、戸畑鋳物(のちの日立金属)、旭硝子、日本水産など、多くの会社や工場がつくられて、工業都市としてめざましく発展しました。戸畑には日本の経済、産業を支えていた企業も多くありました。
 現在は、21世紀に向かって新たな産業を育てるために、北九州テクノセンターを中心にあらたな事業への取り組みが進められています。

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1996(平成8)年、戸畑区中心部


戸畑と言えば戸畑祇園大山笠。国の重要無形民族文化財に指定されており、博多祇園山笠、小倉祇園太鼓とともに福岡県夏の三大祭りと称され、全国的に有名な祭り。
200年の歴史を誇り、昼は幟大山笠、夜は古式ゆかしい大段に重ねた光のピラミッドに姿を変えて「ヨイトサ、ヨイトサ」のかけ声とともに進んでいく姿は圧巻です。

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国指定重要無形文化財 戸畑祇園提灯大山笠

~戸畑祇園大山笠~ 1

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 福岡県夏の三大祭りの一つ。亨和2年(1802)村中に疫病が流行し、須賀大神(須佐ノ男命)に祈願し平癒を祝ったのが起源とされています。
 昼はのぼり大山笠、夜は309個の提灯大山笠で東・西・中原・天籟寺の大山笠と中学生を主体とした小若山笠が出ます。昼ののぼり大山笠は台上に12本の幟を立て前面は八重純白大菊花四輪、脊面は縫箔の径2mの見送り、側面は緋羅紗の金銀糸の武者絵で飾られている。
夜の提灯山笠は昼間の台上に4本の櫓をピラミッド状に12段、309個の提灯、地上10mになる。囃子は横笛(3人)、鉦、太鼓、合せ鉦(ちゃんぷく)で5種類の囃子は時を異にして奏せられる。

この戸畑祇園は昭和32年福岡県の文化財、55年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。

①昔ながらの原型をとどめる。特に幟山の汐まき行事など風俗があって珍しい。
②夜の提灯山笠は、組立てと豪華さで他に類例がない。
③囃子も独特で、格調にすぐれている。
④引幕の刺繍は貴重な資料とされている。

~戸畑の由来~ 2

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 北九州のほぼ中央に位置する戸畑は万葉集に「ほととぎす とばたの浦にしく浪の しばしば君を見むよしかも」と謳われ日本書紀、筑前風土記にも「飛旗、鳥旗」と記されているように、古くから「とばた」と呼ばれていた。
 現在の戸畑という地名は、慶長年間の筑前古図の中に「戸畑村」として登場しており、明治初期までは田園と白砂青松の続く半農半漁の一寒村であった。明治中期、鉄道・電車の関連周囲の発展に連れ、工業都市として都市形態を整え、製鉄所を中心とした海面埋め立てによって大正13年市制を施行するに至った。

~飛旗八幡宮~ 3

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 鎌倉時代、遠賀郡花尾城主の麻生氏が枝光に八幡大神を祀ったのが始まりで、江戸時代に鳥旗に移り、大正9年に現在の浅生に遷座した。
八幡大神、須賀大神、名護屋大神が祀られている。

祭事 春季大祭  4月14~15日
祇園祭   7月第4土曜・日曜をはさむ3日間
夏越祭   7月14~15日
秋季例祭  10月14~15日

~戸畑そば~ 4

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 飛旗八幡宮の境内に、神饌蕎麦耕作地という碑がある。いつ、どこの畑に建てられたものか明らかでないが、神饌として"そば"が耕作された事跡を物語っている。

 文化年代(1814年頃)「去年は不出来で"そば"はございませんが、この節の御用は格別のことですので"種子そば"として囲っているものの......」

文化十一年三月戸畑村庄屋○○○と古文書が残っている

~牧水の句碑-飛旗八幡宮境内~ 5

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「新懇のこの坂道のすそとほし 友のすがたの其処ゆ登り来」大正14年11月、戸畑の毛利雨一楼宅への途中、荒生田から鞘ヶ谷を越えた時の作である。

~戸畑区役所~ 6

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大正13年(1924)市制施行当初、市役所は通町の旧町役場を庁舎としていた。老朽化したので現在地に建設した。

起 工  昭和7年(1932) 12月21日
竣 工  昭和8年(1933) 12月23日
建坪延  839坪
工事費総額  14万円也

~国境石―從是東豊前国小倉~ 7

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 明治4年に廃藩置県になるまでは、筑前黒田藩と豊前小笠原藩の藩界であった。堂ヶ峰(金比羅山)より流れる境川が両国の界であり、この界を中心に江戸時代には色々と紛争があった。

 箱崎協定(次回に後述)により元禄15年頃に境川の川中に建てたもので、昭和32年区役所前に移した。

~箱崎協定による国境石―從是西筑前国~ 8

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 筑前黒田藩と豊前小笠原藩との界は、中原・金毘羅山・荒尾田・大蔵・田代などでよく紛争が起こっていた。境界は古くは川、山の地形、植樹した林、祠などでなされており、一應正保年間に大まかな国繪図が出来ていたが、元禄時代になって時の幕府から石高その他の検地の必要から、諸藩に国繪図の提出を求められた事から国境紛争が表面化した。
 そこで元禄13年、筑前国箱崎村に両藩相寄って境界線を協定し、国境の印石を建てる事を決め元禄15年中原から大蔵、田代に至るまで18基を建てた。
 これが箱崎協定といわれるものである。現在14基が残っており、当時の位置のまま残っているものは6基となっている。

~河白斗 島(カワゴシマ)記念石~ 9

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 戸畑区役所の前庭に国境石と並んで河白斗島記念石がある。若戸大橋の下、戸畑側海中に周囲500m程の小島があった。通称「中の島」と言ったが、筑前風土記には「河白斗島」と訓まれている。戦国時代から城があったといわれ、慶長年間に黒田長政の出城があったが、幕府の一国一城令により元和元年取り壊された。

 明治になってコークス工場、貯炭場、造船場があったが、洞海湾の発展に合わせて昭和15年切り除いた。その島の石を残して記念石としている。

~北九州市民憲章の碑―戸畑ロータリークラブ~ 10

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 昭和56(1981)年、第270地区年次大会を主催した記念事業として北九州市へ市民憲章碑を寄贈。

緑を豊かに 清潔で美しいまちにします
きまりを守り 安全なまちにします
人を大切にし ふれあいの輪をひろげます
元気で働き 明るい家庭をつくります
学ぶ楽しさを深め 文化のかおるまちにします

~照 養 寺~ 11

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 河白斗 島(通稱 中の島・洞海湾の内)にあった城の武将、竹之内治部が得度し永正12年(1515年)約485年前、釈了正として照養寺(浄土真宗西本願寺派)を開基した。
 また、戸畑小学校発祥の地でもある。現在の住職(十九代)は戸畑ロータリークラブのパスト会長 竹内正道氏である。
 明治9年11月28日、鳥旗小学校(4年制)が発足。

~東光寺地蔵堂~ 12

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 遠い昔、戸畑が一寒村の頃、名護屋岬(製鉄所構内埋立て地)に無住の地蔵堂があった。お寺が焼失し、明治になって現在地に移り、地蔵堂帆柱四国二十一番札所として建立され、延命地蔵菩薩が祀られた。
 安産・子授・合格・水子供養の祈願にご利益を授かった方々は多く心から喜ばれ、信仰を深めている。

~戸畑恵比須神社~ 13

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 寿永の昔(1182年)平家の残党が地元の人々と相談して出雲の国の美保神社より事代主命(えびす様)を勧請し奉祀したお社です。800年間祀り継いだ由緒深い戸畑の氏神様です。             

春季大祭 4月2・3・4日
秋季例大祭 12月2・3・4日

~太陽電池時計―戸畑ロータリークラブ~ 14

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 国際ロータリー創立75周年記念事業、並びに戸畑ロータリークラブ創立25周年記念事業として太陽電池時計を戸畑駅北側に設置した。
「無限の太陽エネルギーが永遠の時を刻む 戸畑ロータリークラブ」の銘を入れてある。

~若戸渡船~ 15

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 若松・戸畑間は明治維新前から漁民が個人で経営し、大渡川渡船と呼ばれていた。大正時代になって若・戸共同市営となった。現在就航しているのはわかと丸で40トン、定員100名、2~3分くらいで対岸に着く。


料金は大人50円、子供20円。
1日の利用客は約5000名位という  

~若戸渡船転覆事件~ 16

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  昭和5年4月2日、当日は風浪が激しく、また、定員オーバーの為 若松側岸壁から約90mの個所で転覆した。時に午後4時37分、死者73名の大惨事であった。

~身代わり地蔵~ 17

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  若戸大橋の戸畑側入り口の近くに、通称「身代わり地蔵」が建っている。
 昭和5年若戸渡船の転覆による事故者、また近くの鉄道に飛び降り自殺者が相次いだため、住民が昭和6年に「身代わり地蔵」を建てた。
 その後、水子地蔵や観音様が次々に持ちこまれ、昭和26年に住民が木造の堂を建てたが、平成6年に不審火で焼け落ち、すぐ近くに再建した。

~若戸大橋~ 18

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 我が国最初の吊橋部を含む全長2,068mの有料道路で、1962年(昭和37年)9月に開通した。
吊橋部は627m、大型貨物船の出入に備え、満潮面上40mの高さである。 当初、歩道と2車線だったが、交通事情により平成2年歩道を廃止し、4車線とした。

~大野伴睦句碑~ 19

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「渡り初め 若戸大橋爽かに」 橋脚下の大橋公園にある。
伴睦は橋の建設に大変尽力した。これを記念するため若松、戸畑の有志が昭和37年9月に建てた。

~牧水の句碑―毛利雨一楼宅跡~ 20

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「われみたび此処に来たりつ家のあるじ、寂び定まりて静かなるかも」昭和2年5月13日 牧水弟子の毛利雨一楼宅跡の句碑。

~菅原神社~ 21

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 道真公が筑紫に左遷された時、当地に来て日が暮れ寺の僧に宿を求めたが、僧が怪しみ恐れて「鶏が鳴くまで」と言って泊めた。僧は謀り夜中に鶏の鳴き声を真似て早立ちさせた。
 公没後、その道徳を偲んで建立したと言われる。その後当地では
鶏を飼わず、飼ったものは異形の鶏を生ずると言われる。




祭神 菅原道真公
   須佐之男命

~楠木 紅梅-戸畑ロータリークラブ~ 22

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  平成3年(1991)4月18日、戸畑ロータリークラブ創立35周年記念植樹として天籟寺天満宮に梅の木を寄贈した。
 現在大きな樹木となり、毎年紅梅の花が咲き参拝者を楽しませている。

~史蹟  菅公御手洗の池~ 23

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 文教の祖神 菅原道真公が天籟寺に宿をとられた折り、手を洗った泉と言われる。この水を使って字を書くと、上手になると言われている。また、この池の蛭は「人の血を吸わない」と言われ、これは菅公が口留めをしたものと言われている。

~天 賀 城 跡~ 24

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 築城者、築城年代は不詳だが菅原神社の前、菅原公園一帯が城跡と言われる。 この城は麻生氏(遠賀郡内を支配していた)出城で、天賀二郎三郎家行の居城 天正9年(1581)大友勢により落城、家臣は全滅した。
 公園の一隅に五輪の塔があるが、これが城主の墓と伝えられている。

~天 籟 寺 の 六 地 蔵(おしろい地蔵)~ 25

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 麻生氏の出城(菅原神社の前の菅原公園一帯)天賀城主、天賀二郎三郎家行その子、熊三郎左衛門等が天正9年(1581)大友氏により落城、その悲惨な最後を弔うため天明8年(1788)に建てたと言われる。
 地蔵は小児の病気平癒に霊験があると言い、おしろい地蔵とも言われる.

~夜宮の大硅化木~ 26

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 昭和15年、区画整理中に地下から発見されたもので最大幅2.2m、長さは推定40mもある日本最大級の硅化木である。
 約44万年前に出来た地層に埋まれていたもので、広葉樹の幹に含水遊離硅酸が置換沈殿して石灰化したものである。


 この硅化木の発見は、北九州地方の当時の植物景観気候等を考察する上に貴重な資料となっている。

~中 原 八 幡 宮~ 27

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 祭神 神功皇后 北売大神 応神天皇
 配神 須佐三男命
 天正7年(1579)枝光村八幡神社を招請小祠を営み崇祀す。
 寛文年間(1660)に小祠を廃し、今の地に社殿を遷した。
 安政2年(1856)に火災で消失、安政6年(1859)再建した。

~鉱 滓 線~ 28

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 八幡製鐵の廃滓処理問題として八幡と戸畑作業所間に専用軌道施設が計画された。 鞘ヶ谷、大谷から一枝通って中原に通う製鉄鉱滓線がこれである。
 昭和2年(1927)3月に起工、昭和5年(1930)2月に開通した。
全長6,388m、トンネル、高架線の他23ヶ所の橋梁がある。
工事費155万2千円。

~金刀比羅神社と金比羅山~ 29

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 戸畑、八幡、小倉のほぼ中央にあり、海抜125mの山頂に金刀比羅神社が祭ってある。祭神は崇徳天皇、大物主命小彦名命で元分3年(1738年)讃岐国から勧請斉祀した。
 昭和46年(1971年)現在の社殿を新築、昭和55年1980年)境内に恵比須神社の社殿を再興す。

~鞘ヶ谷ほたるの里案内板-戸畑ロータリークラブ~ 30

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 平成8年(1996)4月11日戸畑ロータリークラブ創立40周年記念事業として、北九州市が実施している「ほたるの里」施設を市民に広くPRする為、鞘ヶ谷ほたる公園(鞘ヶ谷第3公園)に案内板を寄贈した。
 内容は、ほたるの里全体図、ほたるの生活史、飼育施設の説明です

~菖 蒲 池 ― 夜 宮 公 園~ 31

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 植付面積 約520㎡ 
 植付株数 約3,500株   
 花菖蒲はあやめ科の宿根草、江戸期にノハナショウブから改良された日本特産の名花で、花は大きく紫や白・紅・藍色など花弁は三弁から六弁八重もある。
 観賞期間  6月初旬~中旬

~戦没者慰霊塔と八重桜33本(戸畑ロータリークラブ)~ 32

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 西南の役以来の戸畑出身戦没者の霊を慰める為昭和34年市民の浄財で夜宮公園広場に建てられた。
 その周囲に終戦33回忌(昭和53年8月15日)記念に八重桜33本を戸畑ロータリークラブが植樹した。

~放 送 塔―戸畑ロータリークラブ~ 33  

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 昭和61年4月18日、戸畑ロータリークラブ創立30周年記念事業として夜宮公園に放送塔を寄贈した。毎朝の体操の集まりに利用されている。

~西日本工業倶楽部~ 34

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 この建物は、松本健次郎氏(1870~1963)が明治44年住居と迎賓館を兼ねて建てた。日銀本店や東京駅の設計者 辰野金吾氏によるもので、明治期の洋風建築の新美術様式を取り入れている。昭和47年国指定重要文化財となる。

~九州工業大学~ 35

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 安川敬一郎、松本健次郎の父子により明治40年創立、全国唯一の4年制工業専門学校。
大正10年官立へ移行。明専の愛称で親しまれたが、昭和24年(1949)九州工業大学となった。

~明治学園~ 36

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 明治40年 明治専門学校附設私立明治尋常小学校として発足。
明専関係職員の子弟、安川、松本家並びにその関係会社職員の子弟を中心とした少定員の学校であった。
大正10年 明専の官立財団法人明治学園として独立。



昭和20年 新学制に従って中学校を設置し、昭和24年経営をノートルダム修道会に移管、昭和25年高等学校を併置し小・中・高の総合学園となった。

~総合体育館~ 37

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 戸畑・八幡・小倉の接点に建つ本格的な体育館。 
昭和49年(1974)1月開館。平成7年6月に大規模改修した。
本館 地下1F 地上3F、別館 地下1F 地上1F、
観客席数 10,020人

~明専会館~ 38

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  昭和33年(1958) 九州工大開学50周年事業として、旧安川五郎氏邸を一部改装して明専会館を建設した。
  昭和46年(1971)全面改装し、明専会館「ガトウ不二」を開店し引き続き昭和58年(1983)野崎茂文氏に経営を委託し現在に至る。
 営業種目は結婚式場、各種宴会場、レストランなど。

野崎氏は戸畑ロータリークラブのメンバー。

~若松水道の碑(牧山浄水場跡地に建つ)~ 39

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  明治の終わり頃、将来の若松の用水不足に備えて
 遠賀川の水を利用する目的で建設された。八幡製鐵の
 鬼ヶ原貯水池(八幡東区大谷)の水を分水するため
 牧山に浄水場が作られた。
 そこに集めた水は、洞海湾の海底に埋設された鉄管を
 通して若松に送られた。明治42年(1909)に着工し、
 3年後の明治45年(1912) に完成した。

~牧山船舶通航信号所(第7管区会場保安本部)~ 40

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 洞海湾に入出港する船舶の安全を図るため台場鼻レーダー局
(下関彦島)、若松港、二島信号所をマイクロ波回線で結び、
レーダーとテレビ映像および電光信号板またはSSB放送により
各種情報の提供と航行管制を行う施設です。

~北九州市立美術館~ 41

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 美術の鑑賞に適した閑静な環境に、また北九州市を象徴する個性的な特徴をもったものと言うことで現在の高見丘陵に、デザインは世界的に著明な建築家 磯崎 新氏に依頼した。
 昭和48年3月着工、翌49年9月に竣工した。







 
所蔵品として
  ルノワール「麦わら帽子を被った女」 油彩 1880
  クロード・モネ「睡蓮.柳の反影」 油彩 1916、1919
 

~お汐井汲みの記念碑(戸畑山笠)~ 42

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 お汐井汲みは海水で山笠台の4本柱と関係者の手を清め、
祭りの安全を祈る山笠行事の一つお汐井汲みと棒洗いに
利用できる階段護岸を設置。
7月の祭りの中日には、4つの山のうち東・西・天籟寺の各
山笠のお汐井汲みが行われる。
中原の山笠は中原海岸で行われる。

クラブ概要

 

創立 1956年4月18日
     
  スポンサークラブ 若松ロータリークラブ
   
  国際ロータリー加盟承認日  1956年6月14日
     
戸畑商業(現 北九州市立)高等学校インターアクトクラブ設立                        
    1965年2月13日  
     
姉妹クラブ 韓国南大田ロータリークラブ
   1978年3月24日  
     
安田記念奨学会発足      1996年4月1日
     
  ガバナー選出  
   
  2015-16年度 会長:増田隆道
    幹事:檜垣賢治 
   
     
     

 

例会場

例会時間:毎週木曜日 12時30分~13時30分
場  所:西日本工業倶楽部
〒804-0021
北九州市戸畑区一枝1丁目4-33
電話:093-871-1031 FAX:093-871-1071

 
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クラブ事務局

〒804-0082
福岡県北九州市戸畑区新池1丁目10-16ロイヤルプラザ305号
電話:093-881-9853 FAX:093-881-9856 

親睦活動委員会

 9月  合同観月会    4月 花見
12月  忘年家族会     5月 つつじ観
 1月  慶事の会      春 親睦旅行

 ~ 趣味の会 ~  銘酒を楽しむ会、ゴルフ、カラオケ、どこか行こう会

 

ビヤガーデン.JPG   西日本工業倶楽部にて親睦会

プログラム委員会


 

社会奉仕委員会

   

 

   

 

 

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