~牧水の句碑―毛利雨一楼宅跡~ 20

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「われみたび此処に来たりつ家のあるじ、寂び定まりて静かなるかも」昭和2年5月13日 牧水弟子の毛利雨一楼宅跡の句碑。

~菅原神社~ 21

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 道真公が筑紫に左遷された時、当地に来て日が暮れ寺の僧に宿を求めたが、僧が怪しみ恐れて「鶏が鳴くまで」と言って泊めた。僧は謀り夜中に鶏の鳴き声を真似て早立ちさせた。
 公没後、その道徳を偲んで建立したと言われる。その後当地では
鶏を飼わず、飼ったものは異形の鶏を生ずると言われる。




祭神 菅原道真公
   須佐之男命

~楠木 紅梅-戸畑ロータリークラブ~ 22

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  平成3年(1991)4月18日、戸畑ロータリークラブ創立35周年記念植樹として天籟寺天満宮に梅の木を寄贈した。
 現在大きな樹木となり、毎年紅梅の花が咲き参拝者を楽しませている。

~史蹟  菅公御手洗の池~ 23

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 文教の祖神 菅原道真公が天籟寺に宿をとられた折り、手を洗った泉と言われる。この水を使って字を書くと、上手になると言われている。また、この池の蛭は「人の血を吸わない」と言われ、これは菅公が口留めをしたものと言われている。

~天 賀 城 跡~ 24

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 築城者、築城年代は不詳だが菅原神社の前、菅原公園一帯が城跡と言われる。 この城は麻生氏(遠賀郡内を支配していた)出城で、天賀二郎三郎家行の居城 天正9年(1581)大友勢により落城、家臣は全滅した。
 公園の一隅に五輪の塔があるが、これが城主の墓と伝えられている。

~天 籟 寺 の 六 地 蔵(おしろい地蔵)~ 25

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 麻生氏の出城(菅原神社の前の菅原公園一帯)天賀城主、天賀二郎三郎家行その子、熊三郎左衛門等が天正9年(1581)大友氏により落城、その悲惨な最後を弔うため天明8年(1788)に建てたと言われる。
 地蔵は小児の病気平癒に霊験があると言い、おしろい地蔵とも言われる.

~夜宮の大硅化木~ 26

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 昭和15年、区画整理中に地下から発見されたもので最大幅2.2m、長さは推定40mもある日本最大級の硅化木である。
 約44万年前に出来た地層に埋まれていたもので、広葉樹の幹に含水遊離硅酸が置換沈殿して石灰化したものである。


 この硅化木の発見は、北九州地方の当時の植物景観気候等を考察する上に貴重な資料となっている。

~中 原 八 幡 宮~ 27

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 祭神 神功皇后 北売大神 応神天皇
 配神 須佐三男命
 天正7年(1579)枝光村八幡神社を招請小祠を営み崇祀す。
 寛文年間(1660)に小祠を廃し、今の地に社殿を遷した。
 安政2年(1856)に火災で消失、安政6年(1859)再建した。

~鉱 滓 線~ 28

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 八幡製鐵の廃滓処理問題として八幡と戸畑作業所間に専用軌道施設が計画された。 鞘ヶ谷、大谷から一枝通って中原に通う製鉄鉱滓線がこれである。
 昭和2年(1927)3月に起工、昭和5年(1930)2月に開通した。
全長6,388m、トンネル、高架線の他23ヶ所の橋梁がある。
工事費155万2千円。

~金刀比羅神社と金比羅山~ 29

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 戸畑、八幡、小倉のほぼ中央にあり、海抜125mの山頂に金刀比羅神社が祭ってある。祭神は崇徳天皇、大物主命小彦名命で元分3年(1738年)讃岐国から勧請斉祀した。
 昭和46年(1971年)現在の社殿を新築、昭和55年1980年)境内に恵比須神社の社殿を再興す。

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